院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


沖縄の雪

 

朝の寒さは尋常ではなかった。昼過ぎにも気温は上がらず、沖縄に雪が降る可能性をニュースが伝える。ネットでは宜野湾で雪が降ったと話題に。しかし、沖縄気象台はなお慎重な対応。否定も肯定もしない。拙速の誹りを恐れてのことだろう。お役所仕事の常である。中国の兵法書「孫子」には、「拙速は巧遅(こうち)に勝る」という。拙速の氾濫するネットの情報だからこそ、自らの理性と知性と、あるいは無知を絡めて能天気に楽しめる。

      

 夜半に窓を叩くパラパラという音。「もしや」、と勇んでカーテンを開ける。小さな氷の塊が、ツーっとガラスの表面を滑って落ちる。みぞれだ。雪だ。そう叫んで寝室に急ぐ。雨とともに降る氷の粒はみぞれ(霙)といい、気象学上雪に分類されることはネットで調べてある。「雪だ、雪が降っている。」細君に声をかけるが、「ふーん」と言ったきり、身じろぎもしない。私にとって、沖縄で雪が降ることは、東京上空にUFOが飛来することと同程度にすごいことなのに、何という無関心。この歴史的出来事をともに楽しもうではないかという、児戯にも似た高ぶりは、急速にしぼんでいく。ひとり盛り上がった自分自身を持て余して、冷たい膝小僧を抱きかかえる。すり寄ってくる愛犬の温もりが心地いい。ほどなくみぞれは雨となり、そしてそれも止むだろう。気象庁の記録に残る「沖縄の雪」。人々の記憶からはいつか消えてゆくのだ。その命とともに。「諸行は無常なればこそ」。独り言のようにつぶやくと、人生という一刹那がいとおしく思えてくる。そんな夜半の冬である。


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